変なタイトルですみませんm(__)m
高校入試もいよいよ大詰め。
ヒーローズ松本沢村校周辺の中学校では、昨日14日に女鳥羽中学の3年生がテストを受け、中3すべてのテストが終了したことになります。
さあ、いよいよ出願、そして受験です。
どこに出願すべきなのか?
それを考える上で、内申点のことを考えなければなりません。
これがやっかいでして・・・。
例えば5教科の点数を大幅にアップさせた生徒さんがいます。
3年生の初めは平均点くらいだった点数が、今では毎回平均プラス100点くらいは取ってくる、そんな生徒さんです。
ということで、自分の目指す高校を受験したいし、学力的には十分狙える位置にいます。
ところが!
内申点が足りないんです。5教科の評定はいいのに、その他が低く、9教科で見ると物足りなくなってしまいます。特に保健体育と技術家庭科が足を引っ張っています。
一体、内申点とは何だろう?と、いまさらながら思うんです。
ある中学校の美術のテストで、Aさんは94点、Bさんは65点でした。ところが、Bさんの評定は4で、Aさんは3でした。実際の今年の中3生の話です。
もはやテストをやる意味はないのでは?と思ってしまいます。
私も、美術はずっと「2」でした。とにかく絵が壊滅的に下手なんです^^;
テストの点数は覚えていませんが、やはり絵の評価で決まっているのでしょうか?
そこで、今日のブログタイトルの疑問が生じたわけです。
もしピカソが中学生だったら、美術の成績は5段階評定でいくつなんだろう?と。
テスト結果が成績にあまり反映されていないとしたら、どんな絵が評価されるのでしょうか?そもそも、うまいとか下手って、何を基準に決めるのでしょう?
美術の先生の個人的な評価であれば、それはちょっとおかしいのではないか?とも思ってしまいます。
上記の生徒さん2人は、授業態度にも大差はないそうです。
そうした場合に、例えばこの2人がピカソとミレーだったとして、評定はどうなるのでしょうか?美術が苦手であり、絵画にまったく興味のない私にとっては、ピカソの「泣く女」は理解できず、ミレーの「落穂拾い」はうまいなぁと思います。ところが、そうでない評価をする人もいるわけであり、それが美術の先生だったらどうなるのでしょうか?
ピカソは素晴らしいからテストは65点だけど評定は4、ミレーは普通の絵だからテストは94点だけど評定は3、こんな風に決められているのでしょうか?だとしたら、それで受験する高校を変えなければならない生徒さんは、たまったもんじゃありません。
あくまで個人的な愚痴であり、言ったからどうなるものでもありませんが、評定の決め方や高校入試制度など、現行のままで良いものと、今後検討しなければならないものとがあるのではないでしょうか?
現中1生から変わると言われていた長野県の高校入試制度は、様々な問題があった上で再検討され、現小5生の受験から変わることになりました。
これからの時代を生き抜くためにはどんな力が必要なのか?
それを考えた上での改革ではあるものの、その生き抜く力が身につかなかったらどうなってしまうのか?誰がどのような形でサポートするのか?見捨てるのか?
制度を変えたはいいが、結局できる人間だけを集めてエリート集団をつくるなどということにならぬよう、多少なりとも教育に関わる仕事をしている以上、真剣に考えていきたいと思っています。
長いブログになってしまいました。
明日の天気予報は雨!この時期に雨って・・・もうタイヤ交換してもいいのでは?と思ってしまうくらいのおかしな天気です。
体調を崩さぬようお気をつけください。